住吉・粉浜エリアとは?
長~い歴史のあるまち、住吉。

大阪弁では、「よい」は「ええ」とも言います。その流れで、この「すみ"よし"」も「すみ"ええ"」とも呼ばれていました。
深く水が澄んだ港(江)がある街であったから…という諸説もあります。
遥か昔、住吉は大陸からの大きな船が寄港することができる国際港でした。遣隋使・遣唐使の船団もここ住吉から出航したんですよ!そんな船団の航海の無事を祈ったのが、初詣で有名な住吉大社です。

現在は大和川で隔てられていますが、堺が貿易で繁栄したのも住吉の港があったからでしょう。堺の商人の力を恐れた徳川家康は、河村瑞賢に命じて大和川を付け替えて、良港であった住吉・堺を砂で埋めさせたのだと云われています。住大社の前のきれいな砂浜が地名の由来なんですよ。なんと、今でも地面を少し掘ると貝殻が出てくるのだとか…!
しかし!皆様ご存知でしょうか?砂浜の秘密…
遥か昔、住吉大社では4年に一度行われる定期的な遷宮のために木材を浜に並べていました。木材を並べている浜…木浜(こはま)として、粉浜は生まれたのです。
そんな場所で行われていたのは、現代で云うナンパ。綺麗な砂浜に散る貝を拾う女性に声を掛ける男性が続出だったのだそう。どんな時代でも、縁を繋いでいるのは流石すみよっさん!

1800年以上の歴史ある住吉大社や、日本最古の公園といわれる住吉公園などなど…このエリアには古いものがたくさん。
日本最初の初詣は住吉大社だと言われているのをご存知でしょうか?日本最初の私鉄電車である南海電車の広告「初詣は住吉大社へ」からスタートしたんですよ。また、日本最初のレコード会社もこのエリア。新しいものを受け入れる土地柄は異文化と常に触れ合っていた港町ならではのものかもしれませんね。
「ええなぁ~おもろいなぁ~と思うもんやったら、いっぺんやってみなはれぇ~」
新しい物好きな土地柄ですから、懐が深いんです。ほんまに"ええ"もんやったら、おもろいもんやったら、長く続くんですよね。それが住吉・粉浜のなが~い歴史であります。
ええもんがいっぱい、すみええまち、すみよし。
そんな住吉・粉浜エリアを粉浜サポーターズがぶらりとご紹介いたします!
粉浜が大好きで粉浜を応援したい粉浜サポーターズ

どうしたら粉浜をもっと面白くできるか?
どうしたらもっと人と人との繋がりを作れるか?
どうしたら地域住人や他地域の人がもっと粉浜に関わってもらえるか?
地域情報紙 こはマガを発行したり
よろずテーマ勉強会 こはまなぶを毎月開催したり
手づくり工房 なごみぃ~なを開いたり
粉浜界隈のおもろいところを数珠つなぎで紹介したり
おもろいところをみんなでまち歩きしたり
ホンマにいろんなことやってます。
そんな粉浜サポーターズが、オオサカジンで「街ブラ企画」の住吉・粉浜エリアを担当させていただくことになりました。
粉浜サポーターズは、チーム全員が楽しく、人のつながりを大切に♬
粉浜に関わる人達が楽しくなるような、魅力のあるまちづくりを目指すことがミッションです。
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